富士吉田の織物の歴史は実に1000年を超えます。町人文化が花開いた江戸期には「甲斐絹(かいき)」として全国に知れ渡りました。昭和に入ると工業化が進み市内の至る所から機織りの音が聴こえて来るほど活況を呈してました。市内には現在でも当時の貴重な機織り工場が数多く残されています。『つるば舎』の建物もかつては機織り工場でした。この度、後世に残すべき貴重な建物が『つるば舎』として蘇りました。末長く宜しくお願いします!
土壁・漆喰・本井草の畳・無垢の床材を贅沢に使用し、2年半をかけて再生しました。右脳を刺激する空間作りで定評のある設計工房木土水(もくどすい)の作品です。
丁寧に修復した古い建具の格子から差し込む光の美しさは格別です。
ゴロンと畳に横になってお過ごしください~
明治中期から昭和初期にかけて、大月から御殿場までの区間を馬車鉄道が走っており、三つ峠から籠坂峠までの区間を『都留馬車(つるばしゃ)鉄道』と呼びました。『つるば舎』は『都留馬車鉄道』にあやかり命名させて頂きました。
つるば舎の昔ばなし
或る日のこと…
ウマヲが富士山の麓をパカパカと散歩をしておりましたところ、足を痛めて辛そうなヲツルと出逢いました。
ヲツルは、ウマヲの作る美味しいご飯と馬の湯のお陰でどんどん元気になりました。
やがてウマヲとヲツルは夫婦となり、ウマヲは都留馬車(つるばしゃ)鉄道の馬車曳きの仕事をするようになりました。
ところが今度は、馬車の曳き過ぎでウマヲが身体を壊してしまいました。
しかしウマヲは、ヲツルの作る美味しいご飯と馬の湯のお陰でどんどん元気になりました。
いつしか都留馬車鉄道の馬車は鶴と馬の夫婦が仲良く力を合わせて曳くようになったのだそうです。
ヲツルとウマヲはつるば舎で、いつまでも仲良く暮らしましたとさ…
つるば舎の敷地内には、機屋(はたや)を営む田邊家に代々伝わる屋敷神様が祀られています。足を痛めた住人が屋敷神様に願を掛けたところ、痛みも消え去り順調に快復したと伝えられております。屋敷神様に守られた『つるば舎』は、ゲスト様の無病息災・五穀豊穣・商売繁盛の宿でございます。
つるば舎自慢『馬の湯』でリフレッシュ!
1枚1枚丁寧に貼られた馬の湯の
モザイクタイル風呂をお楽しみください。
つるば舎の水は、
富士山の深井戸から汲み上げた名水です。